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京都旅行記その5。

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その後、下鴨神社へ。ほとんど寺社には興味がないんだけれど糺の森の静謐さには驚く。信じている信じていないの問題ではなく、過去の人がそこを神社にした理由がダイレクトにわかる。どう考えてもここ日常の場所ではないと思わされる。あの感覚を多くの人はパワースポットと呼んでいるのだろうか。あんなに厳かな気持ちになれる場所をそんな陳腐な言葉で言い表すのはどうかと思うんだけど。そう思うほど静謐な空気に満ちていて行ってよかったと思った。

そして金閣寺近くのあぶり餅へ。京都という街は最高だけど公共交通機関が揃っているようで揃っていない。特に電車は乗り合わせが悪すぎる。遠回りでもいいから乗り継ぎで行かせてほしい。乗り換え2回で徒歩2回って初めて見た。それを補うようにバスが運行していて、網羅的ではあるもののやはり本数に問題を抱えている。ここをどうにかすることができればもっと楽しくなるのになーと人ごとのように思ってしまった。あぶり餅は美味しい。ただそれよりも何よりも1000年の重みが楽しい。縁側で対面のお店と参道を見ながら過去の京都に想いを馳せる。泣きそうになってきた。時代が目まぐるしく動く中で変わらぬ店がそこにはあり、そこには一般的な人間の呼吸が息づいている。平安から戦国を経て江戸時代まで変わらずそこにあり、過去に生きた先人たちと視点を共有している気分になると歴史の重みを感じて、なぜか感動した。感情としてはいまいちよくわからない。でも心が動かされる何かがあったのは事実。関係ないところでは神社をショートカットに使うと罪悪感が半端ないということや、静かな中で鐘を鳴らす緊張感とその神秘性、象徴性についてぼんやりと考えを巡らせたりもした。深い考察はまだできていない。神様とつながるための合図であり、通り道的な感じなんだろうか。